【概要】
奈良先端科学技術大学院大学(学長:塩﨑一裕)先端科学技術研究科 バイオサイエンス領域の山口暢俊准教授・伊藤寿朗教授、東京工業大学の藤泰子准教授、中部大学の鈴木孝征教授、東京大学の稲垣宗一准教授・角谷徹仁教授らの共同研究グループは、植物の開花に関わる遺伝子の発現を、DNA分子が巻き付くヒストンというタンパク質の形の変化により、促進する仕組みを解明しました。この遺伝子の働きを抑制するポリコーム複合体というタンパク質複合体を除去して、遺伝子発現の引き金になるヒストン修飾を導入するものです。遺伝子は改変されないので、状況に応じて可逆的に変化させられます。ポリコーム複合体は動植物に保存されており、幅広い生物にこの仕組みが使われている可能性があります。この成果により、開花時期の調整など、園芸、農業に役立つことが期待されます。
本研究成果は、生命科学におけるオープンアクセス雑誌eLife誌に2024年9月10日に公開されました。
【背景と目的】
動物だけでなく、植物もその発生は受精卵という1つの細胞から始まります。その受精卵は細胞分裂と分化を繰り返して、様々な組織を構成する細胞種を作り出し、その体を作っていきます。同じゲノムDNAを持つ細胞から異なる性質の細胞を生み出すうえで重要になるのは、ゲノムDNAの塩基配列は変化させずに遺伝子の発現を「オン」「オフ」どちらかにスイッチして制御するエピジェネティックな発現制御機構です。この遺伝子発現の制御機構を使えば、子孫に遺伝的な影響が出るゲノムDNAの塩基配列はそのまま保存し、必要に応じて可逆的に遺伝子発現の状況だけを変えて、望みの形質を作り出すことができることから、応用面での期待が高まっています。
ゲノムDNAの分子はヒストンに巻きついたヌクレオソーム構造をとっています。ヒストンが化学修飾を受けることで、遺伝子の発現が制御されるのです。例えばヒストンのメチル化は、ヒストンタンパク質の特定の残基にメチル基が付加される修飾で、遺伝子の発現を活性化または抑制する役割を持ちます。修飾が行われるアミノ酸残基やその状態によって、転写の抑制や促進が異なる影響を及ぼします。ヒストン修飾のうち、最もよく知られている例が、ヒストンを構成するタンパク質「H3」の27番目のリシン残基がトリメチル化される修飾(H3K27me3)です。この修飾は、ポリコーム複合体によって、発生や分化に重要な遺伝子に導入され、発現を抑制します。
モデル植物のシロイヌナズナでは、発芽後しばらくは葉っぱだけを作り、それが光合成をして十分な栄養を蓄えます。その後、生長すると、花を作り、栄養を果実や種子に蓄えて、次の世代に子孫を残していきます。ポリコーム複合体は、花を作るのに必要な遺伝子にH3K27me3を導入します。この修飾の導入により、遺伝子の発現を抑制して、花、果実、種子を早く作りすぎないようにしています。体に栄養があまりない状態で種子を作るより、栄養を十分蓄えて種子を作った方が、次の世代では生存に有利だと考えられるからです。実際に、ポリコーム複合体が働かない突然変異体では、体が十分に大きくならないまま、花が早く咲いてしまうことが知られています。これまでにポリコーム複合体がH3K27me3を導入することは知られていましたが、どのようにしてその除去が行われるのかはわかっていませんでした。
【研究の内容】
ポリコーム複合体により抑制される遺伝子が、逆に促進されるようになる仕組みを知るために、本研究グループはヒストンH3の36番目のリシン残基をトリメチル化される修飾(H3K36me3)が遺伝子の発現を促進することや、その修飾を導入する酵素に注目しました。この修飾は、SET DOMAIN GROUP(SDG)というヒストンメチル基転移酵素を含むタンパク質ファミリーが導入します。このファミリーのうち、SDG8はH3K36me3を導入することがすでに報告されていました。さらにSDG8の主要な構造要素で触媒活性を担う部位のSETドメインと非常によく似たドメインをSDG7が持ち、ヒストン修飾が導入される部分とよく相互作用します。そこで、SDG7とSDG8という2つの酵素に注目して、ポリコーム複合体との関係を調べることにしました。
その結果、まずポリコーム複合体の構成因子の1つであるcurly leaf(clf)変異体では、花を咲かせる遺伝子の発現を抑制することができません。そのため、この変異体では、花を咲かせるのが早くなり、植物は小さくなってしまいます。ところが、SDG7とSDG8遺伝子に変異を導入して、clf sdg7 sdg8三重変異体を作ると、花を咲かせる時期が変わり、植物が大きくなることを突き止めました。このことは、ポリコーム複合体とSDG7やSDG8が逆の働きを持つことを意味します。
次に、ポリコーム複合体とSDG7やSDG8がどのようにして逆の働きをするのかを調べることにしました。ポリコーム複合体は、DNA配列を認識して結合するAZFやBPC転写因子と相互作用して、主に遺伝子のプロモーターに多く存在するポリコーム応答配列を介して、ゲノム上に結合しています。
そこで、SDG7とSDG8がゲノム上で結合している場所を調べて、ポリコーム複合体がある位置と比べてみると、SDG7は、ポリコーム複合体が位置するポリコーム応答配列付近に結合することがわかりました。さらに、SDG7の機能を誘導する操作を行うと、花を咲かせる遺伝子などに結合しているポリコーム複合体と導入されていたH3K27me3が排除されることがわかりました。
この実験結果から、SDG7はポリコーム複合体とH3K27me3を排除することで、花を咲かせる遺伝子の抑制を解除して、H3K36me3を導入すると考えられます。
一方で、SDG8は遺伝子の内部に結合していることがわかりました。このSDG8は真核生物の核内でmRNAの転写を担う酵素であるRNAポリメラーゼIIや転写伸長因子であるELFと相互作用することが報告されています。実際に、SDG8とRNAポリメラーゼIIのゲノム上の結合部位はよく似ていることを明らかにしました。このことから、SDG8はRNAポリメラーゼと相互作用し、転写伸長反応と共役して、花を咲かせる遺伝子の内部にH3K36me3を導入すると考えられます。
【今後の展開】
今回、花を咲かせないようにするヒストンの化学修飾が開花の方向に変わる仕組みの解明に成功しました。この仕組みをうまく使えば、ゲノムDNAを操作する方法では実現が困難とされた、開花の時期の可逆的なコントロールが可能になると考えられます。今後、応用研究を展開することで、農業や園芸の分野に大きな貢献が期待できます。
###
【掲載論文】
タイトル: Arabidopsis SDG proteins mediate Polycomb removal and transcription-coupled H3K36 methylation for gene activation
著者: Yicong Wang, Masato Abe, Yuka Kadoya, Takeru Saiki, Kanae Imai, Xuejing Wang, Taiko Kim To, Soichi Inagaki, Takamasa Suzuki, Tetsuji Kakutani, Toshiro Ito, Nobutoshi Yamaguchi
掲載誌: eLife
DOI: https://doi.org/10.7554/eLife.100905.1
【研究室ホームページ】
https://bsw3.naist.jp/courses/courses112.html
【用語解説】
遺伝子発現: DNAの情報がRNAに転写され、最終的にタンパク質として機能するプロセスを指す。
ポリコーム複合体: 遺伝子の転写を抑制するタンパク質複合体で、特にヒストンのメチル化によりクロマチン構造を制御する。
ヒストン修飾: ヒストンタンパク質に対する化学的修飾で、遺伝子の発現を制御する重要なエピジェネティックなメカニズムである。
ゲノムDNA: 生物の全遺伝情報を保持するDNAで、細胞の核内に存在する。
ヒストン: DNAが巻きついてクロマチンを形成するタンパク質で、遺伝子の発現調節に関わる。
ヌクレオソーム: DNAがヒストンに巻きついて形成される構造単位で、クロマチンの基本単位である。
シロイヌナズナ: 植物研究のモデル生物で、遺伝学やエピジェネティクスの研究に広く用いられる。
ポリコーム複合体の構成因子: ポリコーム複合体を構成する因子。主に4つの因子が知られる。
転写因子: 遺伝子のプロモーター領域に結合し、転写を促進または抑制するタンパク質。
プロモーター: 遺伝子の転写開始点に位置するDNA配列で、転写因子が結合し、遺伝子発現を制御する。
ポリコーム応答配列: ポリコーム複合体が結合して遺伝子の転写を抑制する特定のDNA配列。
RNAポリメラーゼII: DNAからmRNAを合成する際に中心的な役割を果たす酵素で、特にタンパク質をコードする遺伝子の転写を行う。
転写伸長因子: RNAポリメラーゼがDNAを読み進めてmRNAを合成する過程で、転写の効率と精度を向上させるために機能するタンパク質。
Journal
eLife
Method of Research
Experimental study
Subject of Research
Cells
Article Title
Arabidopsis SDG proteins mediate Polycomb removal and transcription-coupled H3K36 methylation for gene activation
COI Statement
The authors declare no competing interests